小さな魔女とファフニール

 レティは帽子を脱ぐと、スタンドミラー横のポールハンガーにそれをかける。走っている途中は怒っていたかぼちゃのアクセサリーは、自分の定位置に戻されるとその表情を喜びへと変えた。
 アクセサリーが笑ったのを確認すると、レティは微笑みそして部屋を出ていく。階段をおりてリビングへと足を踏み入れると、台所で夕食を作っているガーネットの背中が見えた。
 ファフニールの話によれば、ガーネットはファフニールを封じた魔女の1人ということらしいが、なぜガーネットは話さなかったんだろう……。レティは考え深げに、ガーネットの丸い背中を見つめている。

「レティ、こいつを運んどくれ」

 ガーネットは、ボーッと突っ立っているレティに声を掛けると、かぼちゃの煮物が入った皿を差し出す。レティはガーネットの方へ歩いていくと、落とさないように両手で皿を支え、テーブルへと運んでいく。
 次々に差し出される皿を、順にテーブルへ運び終えたレティは自分の席に座る。少し遅れてガーネットも席に着くと、自分とレティのコップへお茶を注ぎ入れた。

「なら、食べるとするかね。いただきます」
「いただきます」

 ガーネットに合わせてレティも挨拶すると、2人揃って食事を始める。
 ナイフとフォーク、そしてスプーンが食器にぶつかる音だけ響くリビング。ガーネットはちらりとレティの様子を窺う。
 レティはただ黙々と料理を食べ進めている。いつもと様子が違うレティを、不思議に思ったガーネットは口を開いた。

「今日はやけに静かだねえ。何かあったのかい?」
「えっ? ……ううん、なんにもないの。ちょっと考え事」

 それだけ言うとレティはまた黙り込み、食事を続ける。ガーネットは、ふーんと頷いたものの、いつもと違う雰囲気に少しつまらなさそうな顔をした。

「あ〜そうだった。レティ、明日はクーリエまでお使い頼むよ」
「え〜、わち明日もお散歩いくのに」
「なんだい、そんなに大事な用なのかい?」
「うん、大事な用なの」
「……なら仕方ないね。ジャックが出来たら頼むとするか」

 ようやくいつもの小生意気なレティらしくなったと、ガーネットはひと安心したが、気付けばレティは食事を終え、食器を片付けようとしていた。

「もう食べないのかい? あたしの肉をやろうか?」
「わち、もうお腹ポンポンだもん」

 肉の皿を差し出すガーネットを尻目に、レティは食器をシンクへと持っていく。

「ババ、ごちそうさま」

 そう言うとレティは、リビングを出て行きバスルームへと向かった。
 なにか様子がおかしい。そう思ったガーネットは、1人残されたリビングで寂しい食事を続けるのだった。

 お風呂から上がったレティは、パジャマに着替え髪を乾かし、そしてリビングへと戻る。
 リビングでは、ガーネットがティーカップ片手に相変わらず魔導書に向かっていた。

「ババ、おやすみ」

 レティはガーネットにそう言うと階段をあがっていく。それを見ていたガーネットは怪訝な顔をしている。
 ふと魔導書に視線を落とすガーネット。しばらく一点だけを見つめていたが、やがて顔を上げるとあることを思いつく。

「そうだ、レティに監視をつければ……いや駄目か。……でも、明日1日くらいなら……」

 ガーネットは魔導書を置き、立ち上がると空中に魔法陣を描いた。レティが召喚したウィルとはまた違った形の魔法陣。複雑な模様、そして禍々しい気配を醸し出す円は、紫に発光し黒い煙が溢れている。ガーネットが詠唱を始めると、少しずつ魔法陣は回転しその輝きを増していく。

「深遠なる闇の彼方、暗黒の岬より来たれ、ルナ・ルミナス!」

 魔法陣は光と煙を巻き込みながら収縮し、霧散するとそこから現れたのは、長くて黒い髪をした少女だった。紫色のローブを一枚だけ羽織った、赤い目をした少女はガーネットに視線を向ける。

「あらおばあちゃん、私を呼ぶなんて久しぶりじゃない。 いったい何の用かしら?」

 少女は艶々のストレートの髪をかき上げながらそう言うと、テーブルの端に腰掛けた。
 ガーネットが召喚したこの少女は闇の精霊、ルナ・ルミナス。光の精霊であるウィル・オ・ウィスプと対をなす存在だ。難易度的にはルナを召喚することのほうが、ウィルを召喚することよりも難しいとされる。

「おばあちゃんじゃないよ! 好きでこの姿になったわけじゃない」
「……まあそうだったわね。それで、私になにか用?」
「お前さんにレティの監視を頼もうと思ってねえ」
「監視? あのおチビちゃんの? いやよ、めんどくさい」

 ルナは嫌そうな顔をして首を左右に振ると、足を組んで不遜な態度を示す。

「どうやら、何か怪しい動きをしてるようなんだ」
「怪しい動き、ねえ。……そんなのほかっとけばいいじゃない」
「よくないわ! ……もちろんタダでとは言わない。明日1日働いてくれたら、“ダークマター”をやろう」

 ダークマターと聞いたルナの耳はピクリと動いた。
 ダークマターとは、闇の中で生まれた、闇が凝縮された魔石。闇属性の魔法を使うと、極稀にその周囲に形成されることもある。滅多に手に入らないそれは、ルナの大好きな石だった。
 それまでそっぽを向いていたルナだったが、ゆっくりとガーネットの方に向き直ると、その瞳は輝きに満ちていた。

「本当っ!?」
「嘘は言わないよ」
「やる!! やるわっ! ダークマターには代えられないもの」
「なら明日、レティが家を出て行く時にでも、あの子の影に入っとくれ」
「分かったわ」

 ガーネットの頼みを、物に釣られて快く承諾したルナは、一度頷くとスーッと消えていった。

 その頃レティは、自室で明日の準備をしていた。オレンジ色の大きなトートバッグの中に、お菓子の袋を詰め込んでいく。そして机の一番下の引き出しを開けると、分厚い本のようなものを取り出した。表紙には『まどうしょ』と書かれている。どうやらレティが書いた字のようだ。丁寧に書いたつもりなのだろうが、字体は整っておらず、正直言って下手だ。
 その魔導書もトートバッグへ一緒に入れると、レティはようやくベッドへ入り眠りに就いた。

 ――翌日――。

 くまのぬいぐるみを抱きながら目が覚めたレティは、上体を起こして眠たそうに目を擦る。ベッドから出ると、そのまま部屋を出て階段をおりていく。リビングでは、まだガーネットが朝食の準備をしている最中だった。

「ん? レティ、今日はやけに早起きだねえ」
「はやく目が覚めちゃったから起きたの」

 レティは目を擦りながらそう言うと、洗面所へと歩いていく。
 ガーネットは朝食の準備を進め、出来上がったものをテーブルへと運ぶ。今朝はシンプルにパンと目玉焼き、そしてベーコンをバターで炒めたものだけのようだ。出来立ての朝食は湯気を上げて、美味しそうな匂いを漂わせている。
 ガーネットが椅子に座る頃、ようやくレティが洗面所から戻ってきた。前髪を少し濡らして歩いてくるレティの目は、完全に眠気から開放されている。

「ババ、おはよう!」
「ん、おはよう。ほれ、さっさと座りな」
「うん」

 レティも席に着くと、2人は揃って食事を始める。いつもより機嫌のよさそうなガーネットを、レティは不思議そうな顔をして見ている。

「ババ、なにかいいことでもあったの?」
「ん〜? なんでもないさ。いつもと変わらないだろう?」
「そうかな?」

 レティは小首を傾げながらも、パンを千切っては食べる。
 2人はいつもと変わらぬ会話をしながら食事を続ける。やがて食べ終えると、ガーネットは後片付けへ、そしてレティは洗面所へと向かった。
 歯磨き、洗顔、ブラッシングと、いつも通りのメニューをこなし、レティはリビングへ戻ると2階への階段を駆け上がっていく。1日経って足の疲れもすっかり取れたようで、軽快な足取りだ。

 自分の部屋のドアを開けて中へ入ると、パジャマを脱いでローブに着替える。そのままポールハンガーに手を伸ばし、帽子を外すと深くかぶった。急に掴まれた為なのか、それとも定位置から離れたくないからなのか、帽子のアクセサリーは哀しみの表情をしている。
 レティは帽子のことなどお構いなしに、机の横にかけておいたトートバッグを取りに行く。そして再度、中身のチェックをする。……どうやら持っていく物は全て揃っているみたいだ。レティはにこやかに、うんうんと頷いている。
 ようやく準備が整ったレティは、バッグを持って部屋を出て行った。

 リビングでは、ガーネットがいつもの場所で魔導書を読んでいる。レティに怪しまれない様に、自分自身がおかしな挙動をしないように、いつも通りに振舞おうとしていた。
 どこか抜けているようでいて、その実、意外にも鋭い一面がレティにはある。本人にはその自覚すらないかもしれないが……。ガーネットは、今まで何度かレティに指摘されてきたことを少しだけ思い出していた。

 するとそこへ、ちょうどレティがリビングへと入ってくる。レティのサイズには合っていない、幅80cmほどもある大きなバッグを肩にかけ、玄関へと歩いていく。

「ずいぶん大きな鞄だねえ、遠足でも行くのかい?」
「ババ、わち、ちょっとそこまで行ってくるの」
「そうかい? なら、気をつけて行っといで」

 ガーネットはレティに声をかけると、玄関脇の影へと視線を移す。するとその影からルナが姿を現した。ガーネットは目配せすると、ルナは一度頷いて、玄関のドアを開けるレティの影の中へ飛び込んだ。

「じゃあババ、行ってきま〜す」

 自分の影の中にルナが入ったことすら気付かずに、レティはガーネットに手を振り外へと出て行った。
 ルナからの報告が今から楽しみなのだろう、レティの背中を見送るガーネットの顔はにやけている。

 家から出たレティは、カースの森へと急ぐ。昨日とは違い、今日は少々重い荷物を持っている。しかしレティは、歩くスピードを上げた。少しでも早く洞窟に着いて、ファフニールの為に時間を使いたい。逸る気持ちを抑えながらも、レティは森へとひた走る。
 森へ着いてもレティの足が止まることはない。そのまま獣道に入り、洞窟を目指す。
 やがて木々のトンネルを抜けると、少し息を切らしながらも、レティは洞窟入口へ到着した。ただひたすらに森を突っ切ってきたせいで、ローブには沢山の葉っぱがくっ付いている。

 レティは服に付着した植物の葉を手で払い落とす。そしていつものように、魔法陣を描きウィルを召喚した。
 光の中から現れたウィルは、どこか疲れた表情をしている。

「ウィル、どうちたの?」
「はぁ〜、なんでもないよ。行こうか……」

 そう言うとウィルは、肩を落としながらゆっくりと洞窟の中へ入っていった。
 レティはそれを見て首を傾げ、ウィルの後ろ姿を見つめていたが、ハッとして洞窟の中へと消えていったウィルを追いかける。
 洞窟の中は相変わらず真っ暗で、ウィルがいなければ、どこをどう歩いていいのかすら分からないほどだ。

「うぅ……目がしぱしぱするよ」
「どうちて?」
「……寝不足だから……」

 レティの少し前を行くウィルは、時折目を擦りながら浮遊している。右へ左へと、その軌道は頼りなくおぼつかない。
 道中、何度も道を間違えそうになり、その都度、レティに怒られるウィル。しょんぼりしながらも、レティの為に暗い洞窟を照らし続ける。
 やがてファフニールのいる大広間付近に来ると、ウィルは完全に目を閉じ無言のまま消えていった。レティはウィルに礼を言い、1人、大広間への一本道を歩いていく。
 暗闇を抜けて視界が開けると、ファフニールが寝ているのが見えた。レティは、低い寝息をたてるファフニールに静かに近付いていく。忍び足で歩くレティに、ファフニールはまるで気付く気配がない。しかし、砂地に足を踏み入れた時、履いているブーツが砂と擦れて音が鳴り、それによってファフニールが目を覚ました。
 ゆっくりと頭をもたげるファフニールの目は、眠気からかしょぼしょぼしており、いまだレティに焦点が定まっていない。

「嬢ちゃんか……今日は少し早いな」
「うん! 早くファフニールに会いたかったから」
「そうか。ところでキャンディは持ってきてくれたか?」
「うん。でも今日はキャンディだけじゃないの。お菓子いっぱい持ってきたから」

 そう言ってレティは、肩にかけたバッグを下ろして中を漁る。そしてお菓子の詰め合わせ袋を取り出してファフニールに見せた。
 眠たそうにしていたファフニールは、ほのかに香るお菓子の甘い芳香を嗅ぎ付け、完全に覚醒した。

「おおっ! しかし嬢ちゃん、昨日貰ったキャンディがまだ残ってるんだが」

 ファフニールは自分の手元に視線を移す。そこには、昨日レティが帰り際にあげた飴玉がまだ転がっていた。3つの内の1つは割れて砕けている。

「どうちて食べなかったの?」
「食べようとしたんだがな……透明の外そうとしたら砕けちまって……」
「そのまま食べればいいのに」
「この透明の袋は不味そうだろ?」

 楽しみにしていたキャンディを食べられなくて、ファフニールは悲しそうな瞳をレティに向けている。その目は涙で潤んでいるようだった。

「しょうがないなぁ。わちが食べさせてあげるから」

 レティはそう言ってファフニールの手元まで歩いていき、地面に転がる飴を拾い上げて包装紙を外す。そしてファフニールの口元に飴を持っていくと、ファフニールは口を開けて飴を待つ。

「なんだかファフニールって、かわいいの」
「あ〜……ん? 可愛い? なんだそれ、それより嬢ちゃん、キャンディをくれ」

 ファフニールは再び口を開ける。レティはその様子をクスクスと笑い、ファフニールの口に飴を放り込んだ。口を閉じて甘さを味わうファフニールは、目も一緒に閉じられている。

「やっぱり美味いな。それよりもだ、今日は随分と大きな荷物だな。全部お菓子なのか?」

 オレンジ色の鮮やかなトートバッグに視線を移したファフニールは、心なしか瞳が輝いているように見える。

「ちがうの。ファフニールを人間にするための研究をするんだよ。だからほら……」

 そう言ってレティはバッグから魔導書を取り出した。そして、昨日ファフニールが岩で作ってくれた椅子に腰掛ける。

「魔導書、か? それは嬢ちゃんのか?」
「そうなの」
「中を見せてくれないか」
「うん、いいよ」

 ファフニールは地面に頭を下ろし、レティはそのファフニールに向かって魔導書を広げ、パラパラとページをめくっていく。めくられていく魔導書のページを、興味深そうに注視するファフニール。

「ふ〜む……おぉ、竜言語魔法。そうか……うーん…………なに!?」
「ん? どうちたの?」

 なにかとんでもない物を見つけてしまった、そういった様子でファフニールは目を見開いて驚いている。

「嬢ちゃん、2ページ前に戻してくれ」
「うん、いいけど」

 レティは不思議そうな顔をしながらも、ファフニールに言われたとおり2ページだけ戻す。
 上質な白い紙に赤いインクで描かれた魔法陣、そして複雑な術式と魔法の詠唱文句。ページの一番上には『めると・ふれあ』と書かれている。魔法名の左に炎のマークが描かれていることからも、属性は火だと分かる。
 それにしても何故ファフニールはそこまで驚いているのだろうか、レティはそんな彼の顔を見つめている。ページを凝視するファフニールは真剣に目を走らせ、その内容に驚愕している。

「こいつも、ガーネットの魔導書からか?」
「うん、そうなの」
「……嬢ちゃん、こいつが使えるのか?」
「うん。だってこれに書いてあるのは、ぜんぶわちが覚えた魔法だもん」

 レティは得意げに胸を叩いて言った。

「……今、出来るか?」
「う〜ん。それやると、今のわちじゃMPなくなっちゃうから無理なの」
「そうか……だが、こいつは凄いぞ、嬢ちゃん」

 ファフニールはゆっくりと頭を上げると、レティの目を覗き込む。レティも上を見上げ、視線を交わすとファフニールは言った。

「ガーネットですら、完璧には使えなかった魔法だ」
「ババが?」
「ああ。今はどうか知らないが、少なくとも、俺を封印した当時はまだ未完成だった」

 それに比べてこの小さな少女は……いや、MPが空になるという点ではまだ完全じゃないのかもしれないが、それはただ単純にMPが足りていないということだ。おそらくまだ小さな炎しか出せないだろう。レティの手を見ても、特に火傷の跡などはない。火炎属性最強の魔法を使っても、術士への反動がないところを見ると、未完ではなく完成されている魔法なのだ。炎を得意とするガーネットですら完成出来なかった魔法、メルト・フレア。それをこの少女は完成させた。
 やはり魔法のセンスがずば抜けている、とファフニールは確信を持って大きく頷いた。

「こいつは禁術と言ってな――」
「きんじゅつ?」
「あまりの威力に使うことを禁じられた魔法なんだ。……って嬢ちゃん知らなかったのか?」
「うん」

 ファフニールはレティの即答に、ぽかーんと口を開けて呆れている。そんなファフニールを余所にレティは椅子に座ると、魔導書の竜言語魔法『ドラグマティッド』のページを開いた。上から下へ何度も読み返すと、椅子から降りて魔導書を椅子に置き、その場にしゃがむ。近くに落ちていた小枝を手に取ると、地面に何かを書き始めた。

「それは――昨日の竜言語魔法の術式だな。しかしそんなものを書いてどうするつもりだ?」
「きっとこれから人間になれる魔法が作れると思うの」
「なに!? 嬢ちゃんよ、まさか新しく魔法を作るつもりか?」
「うん、そうなの」

 ファフニールに返事をすると、レティは黙々と数式のようなものを地面に書いていく。ファフニールは、ただ黙ってその様子をジッと眺めている。