あれから一週間が経ちました。晴れた日もありましたが、ほぼ雪が降り続いた一週間でした。
ヨハンは窓の外を見ています。今は雪もすっかりと止み、綺麗な夕焼け空が広がっていました。降り積もった雪が夕陽に照らされて、景色の全てを朱く染めています。その風景はまるで、地にオーロラを敷き詰めたような美しさでした。
ヨハンは目の前に広がる赤の世界に、しばらくの間、見入っていました。この季節の日の入りはとても早く、ほんの数分で空は暗くなりました。星々が煌き輝き出すと、急に部屋の中へと月の光が射し込んできました。
今夜は満月です。ケット・シーが住む国の、森の中の一本の大きな木の下で、また猫たちの集会が開かれます。
(……そろそろ行こうかな? モゥが待ってるかも)
「にゃ〜ぉ」
ヨハンはいつものように、窓をカリカリと引っ掻きます。椅子に座っていたおじいさんは立ち上がり、ヨハンの側まで歩いていきました。
「どうしたんだいヨハン、こんな夜中に散歩に行くのかい?」
「にゃ〜」
「今夜は雪は降らないみたいだけど、外は寒いよ? それでも行くのかい?」
ヨハンはお座りをして、じっとおじいさんを見つめた後、にゃ〜と一言、返事をしました。
「そうか、じゃあ開けるからね……。そうだ、これをしていきなさい。ばあさんがお前のために編んでくれたマフラーだよ」
そう言うとおじいさんは、ヨハンの首にマフラーを巻いてあげました。赤いタータンチェックの、モコモコとしたマフラーはヨハンにとても似合っています。
――ガラガラガラ
ヨハンはおじいさんに窓を開けてもらうと、月の輝く夜空の下へと飛び出しました。
「ヨハン、窓の鍵を開けておくからね。帰ってきたら自分で開けて入ってくるんだよ」
「にゃ〜ぅ」
ヨハンはおじいさんに返事をすると、小川に架かる小さな橋へと急ぎました。橋に丁度着く頃、向こうからモゥがのそのそとやってきました。相変わらず牛のような猫です。
(……ちょっと太ったかな?)
一週間ぶりに再会したモゥは、少しだけ大きくなったようにヨハンには見えました。
「久しぶりだな、ヨハン」
「うん、久しぶり!」
「しかし綺麗だな〜……この景色、今のうちに楽しんどけよ!」
モゥは辺りを見回しながら言いました。
「そうだね、次の満月は晴れるか分からないしね……まるで星空みたいだ」
雪の絨毯が満月の光に照らされて、星屑を散りばめたように輝く風景を、ヨハンはそう
例えると……
「……お前、上手いこと言うな」
とモゥは感心しています。
「最初はまったく話せなかったのにな!」
「リリーとモゥのおかげだよ、ありがとう」
「俺のおかげじゃねぇよ……リリーの教え方が上手いんだろうよ。俺もリリーに習ったんだ」
「え! そうなの?」
「あぁ、すげースパルタだったのを……覚えてる……俺は物覚えがわりぃからな」
遠くを見つめるモゥは、少しブルブルと震えています。
(そ、そんなにだったんだ!?)
「そんなことより、そろそろ行くぞヨハン……リリーを待たせて怒らせると厄介だからな」
「う、うん。そうみたいだね」
二人は前に通った公園のトンネルへと急ぎました。雪の積もる街を駆け抜け、トンネルのあった場所まで来ると、数匹の猫が立ち往生しています。
『ざわざわざわざわ』
二人は公園に集まる猫たちに歩み寄っていくと、立ち止まりざわめく彼らに、モゥは聞きました。
「ん? おいお前たち、どうしたんだ? そんなところに突っ立って」
モゥの声を聞くとみんなが振り返り、その中の一匹の猫が言いました。
「あ、モゥさん……トンネルが開かないんですよ」
「何だって!? ……ちょい見してみ。……う〜ん、どうやらトンネルが埋まっちまってるみたいだな。……よし、みんなで雪かきするぞ!」
モゥの提案で、その場にいた全員で雪かきをすることになりました。
――20分後――
「……雪かきってのは、意外に大変なんだな、ヨハン」
「……そうだね、疲れたよ……」
力持ちのモゥでも、これはさすがにこたえたようです。ゼエゼエと肩で息をしていました。
「お! トンネル開いたじゃないか、よしみんな行くぞ!」
モゥの掛け声で、みんな一斉にトンネルの中へと入っていきました。
「モゥ、僕たちも急ごう!」
みんなに続いて、ヨハンとモゥもトンネルをくぐります。長いトンネルを抜けると、ヨハンは眩い光に目を瞑りました。
「モゥ、前から思ってたんだけど、コッチの世界は昼なんだね……」
「あぁ、コッチの世界はアッチの世界と昼夜が逆転してるん……んげっ!!」
「どうしたの!? モゥ」
モゥが急に変な声を出したので、ヨハンは驚いてしまいました。
「ヨハン……あれ、見てみ……」
モゥは視線をそらし、先の方を指さして言いました。
「ん? ……あっ!」
ヨハンの視線の先には、切り株の上で腕を組み仁王立ちし、不機嫌そうな顔をしたリリーの姿がありました。
「あなた達……レディーをこんなに待たせて、いったいどういうつもりなの!」
「あの、これにはわけ――」
ヨハンがそこまで口にしたところを遮って、モゥが反論し始めました。
「しょうがないだろ、こっちもいろいろ大変だったんだ」
「何よ、その言い草は。……私たちがどれだけ待ったと思ってるの! 1時間半よ、1時間半!」
「それがどうした。俺たちはな、20分も雪かきしてたんだ、こっちだって疲れてるんだよ!」
リリーとモゥの口論は更に激化し、それは5分ほど続きました。ヨハンは二人のやり取りを聞くに堪えられなくなり――
「二人とも、いい加減にしろよ! ……僕はこんな口喧嘩を聞きに来たわけじゃないんだ」
ヨハンもついつい口調が強くなってしまいました。
『……!!』
「……ごめんね、ヨハン」
「……悪かったな」
ヨハンが止めに入ったことで、二人は落ち着きを取り戻しました。
「もっと仲良くしようよ、仲間じゃないか」
「……そうだな……悪かった、リリー」
「……何よ、悪かったのは私なんだから、謝る必要なんてないわ。……ごめんなさいね、モゥ」
どうやら二人は仲直りしたようです。気付けば、周りにいる猫たちは、この前に来た時よりも更に大人数になっていました。その数、ざっと見ても30匹以上。
「結構な人数が集まったようね……モゥ」
「そうだな、そろそろいいんじゃないか? ……とその前にリリー、ヨハンに説明があるだろう?」
「あっ! そうだったわね。……ヨハン、少し長いけど、これから話すことをよく聞いて」
ヨハンは静かに頷きました。そしてリリーは深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めました――
「……私たちが今いるこの世界は、ケット・シーと呼ばれる種族が暮らす世界なの。ケット・シーって言うのは、猫の妖精って意味よ。二本足で歩き、人語を喋る……それが私たちケット・シー。人間の中に紛れて一緒に生活している者……。この世界で生まれ、この世界で生活している者……様々ね。そんな私たちケット・シーは、王制を敷いているの。王様となった者はこの世界を統治するのが仕来りなんだけど……つい最近、王様がご病気で亡くなられてね。……だから次の王様の候補になりそうな人を探しているのよ。王様は選挙によって選ばれるから」
リリーはここで一息つきました。
「そうだったんだ。……でも王様に奥さんや息子さんはいなかったの? いるんだったら後継者になればいいのに……」
ヨハンは少し気になり、リリーに聞き返しました。
「……ふぅ〜。問題はそこなのよ……。王子が生まれてからしばらくして、王妃様と王子は共にどこかへ行ってしまったらしいの。……いま生きているのか、死んでいるのかさえも不明なのよ」
リリーは困った顔をして、首を左右に振りました。
「だからお前を連れて来たんだ、ヨハン」
モゥはまるで出番を待っていたかのように喋り始めました。
「でもなんで僕なの?」
ヨハンはそこがとても疑問に思いました。
「初めてあの橋の上でお前を見た時、こいつは何かが違う……そう思ったから声をかけたんだ」
「私も……初めてあなたを見た時に、なんだか不思議な感じがしたの……一目惚れしちゃったわ、モゥもなかなか見る目があるわよね〜」
二人ともべた褒めです。ヨハンは恥ずかしそうに俯きました。
「でも、僕に王様なんて、そんなの無理だよ」
「ヨハン、諦めるんだな……。リリーはこう見えても、王宮の秘書官なんだ。そのリリーがお前に決めたんだよ。きっといい線いくと思うぞ」
「そんな〜……」
モゥに諦めろと言われて、ガックリと肩を落とすヨハン。
「安心なさいヨハン。たとえ選挙で選ばれたとしても、王様直属の執事が認めなければ、王様になることはないわ」
「そうなんだ。僕が認められるわけないし……だったらなってもいいかな?」
「よし、決まりね!」
リリーは、ヨハンが承諾してくれたことがとても嬉しかったようで、ピョンピョンと飛び跳ねています。そして、大衆に向かって宣言しました。
「みんな! 候補が決まったわ、彼の名はヨハンよ、応援して上げてね!」
――パチパチパチパチ
『おぉ〜、ヨハーン頑張れよ〜』
あちこちで拍手や声援が飛び交いました。みんな、ヨハンを認めてくれたようです。
「じゃあヨハン、あなたのことを色々と聞かせて! 推薦状を書かなくちゃ」
そう言うとリリーは、切り株の脇に置かれた、可愛らしい花柄のカバンからペンと紙を取り出しました。
「え〜と、名前はヨハンと……住んでるお家と家族構成は?」
「ログハウス風なお家で、おじいさんとおばあさんの3人暮らしだよ」
「へ〜、ヨハンはじいさんばあさんと暮らしてんのか〜」
とモゥは興味深そうに聞いてきました。
「そうだよ、とても優しくて温かい人たちだよ。……モゥは?」
どこか羨ましそうな表情をしているモゥに、ヨハンは聞き返してみました。
「よくぞ聞いてくれた! ヨハン聞いてくれよ! 俺の家はデカくて遊びがいはあるし、飯も美味いから文句はないんだ。けどよ、あのガキんちょ……5歳の女の子なんだけどな、俺の眠りは妨げるわ、パンチしたら泣き喚くわ、尻尾で遊ぶわ、飴玉投げるわ……もう踏んだり蹴ったりってな感じでよ〜。……いっそコッチで暮らそかな」
少し涙目になりながら、モゥは自分の家のことをヨハンに教えてあげました。
「アハハハッ! 最っ高ねその子、モゥはいじりがいがあるから楽しいんじゃな〜い?」
リリーは大爆笑しながらモゥに言いました。
「……勘弁してくれよ〜」
モゥは肩を落とし、しょんぼりしています。
「じゃあリリーは?」
ヨハンは次にリリーに聞いてみました。
「私はずっとコッチで暮らしてるから、人間に飼われたことないのよね。私の家は代々秘書官なの……父と母と姉がいるわ」
「へ〜、そういう家系なんだ」
ヨハンはとても感心しているようです。
「オホン! 次の質問よ、ヨハンのご両親は?」
「あっ……。ごめん……僕、覚えてないんだ。気付いたらおじいさんに拾われてた」
ヨハンは少し申し訳なさそうにリリーを見ました。リリーも聞いてはいけないことを聞いてしまったと、後悔しているようです。
「そうなの……ごめんね。んまぁいいわ、そこら辺はなんとかなるでしょ。以上よ」
「ううん、いいんだ。ところで、それ持ってどこ行くの?」
「王宮に行って受付に提出するのよ。きっと今頃は各地の候補者が集まってるはずよ。急ぎましょ!」